Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル・番外編

    春霧甘露
 



 雨上がりの朝だ。蔀
しとみや妻戸を開けると、明るさと共に毎日真っ新なそれに塗り変わってる、朝の外気が頬に触れて。冴えてはいるが、どこか湿り気の強い空気が、何となく生ぬるいのは、春の暖かな雨だったからだろうか。いやいや、昨夜までの数日ほど降り続いたそれは、氷雨と呼んで十分なほどの代物だった。なかなかに冷え込んで、爪先がいつまでも冷たくて。暖かくなるのはやはり、東大寺の“お水とり”が済み、お彼岸が来る頃なのかななんて、今更に思い知らされてたんだっけ。
“んっと…。”
 お顔を洗い、衣紋を整え、今日の予定をぽさぽさ頭の少し上、空
そらでお浚いしながら ほてほてと。お館様の寝起きなさる広間まで、時折ふるると小さな肩をすくめながら足を運べば、
「…あ。」
 渡殿の先、丁度納所や庫裏からの目隠しのようになった茂みに、小さな小さな濃朱の粒がそれはたわわに育っていて、
“わ〜vv”
 気がつかなかったなぁと思いつつ、ちょこっと堪能。だって、今朝いきなり こうまでどっと現れた訳ではなかろうからね。恐らく最初のうちは ささやかすぎて気がつかなかったか、それとも。
“一昨日はみかんの投げ合いなんてな騒ぎを起こしてらしたし、その前は…ああそうそう、天井からの雨漏りで炭櫃
すびつから煙がもうもうになって…。”
 毎朝の習慣、やはりこうやって此処を通って向かった先にて、お館様が何かしらの騒ぎを起こして下さっていて。ごめんねなんて謝る彼には、だがだが、こんな小さな変化には眸を留める余裕がなかったのだから仕方がない。冠や扇、書や文などへ、季節感を匂わせるべく添えるには、まだまだ早い小さな蕾。けれど、間違いなく春の到来を知らせてくれてるお花でもあって。

  「…どうしたのだ? 主
あるじ。」

 あんまりじっとしているのが気になったのか、それとも。屋外へと出る戸口にいつまでも立ち尽くしていると、身体を冷やすぞと心配したか。その黒髪にもよく映える、深色の狩衣をきっちりとまとい、朝の気配に負けないほどに きりりと冴えた表情も凛々しく、彼の身を守る“憑神”様が姿を現す。あんまり小さな主人であるがため、いつもと同様に片膝をついての恭順の姿勢でもって、その姿を見せた彼だったが、
「進さん。」
 にこぉっと微笑ったそのまま振り返って来た、彼の方こそ春先の可憐なお花のような瀬那のお顔に。少々ぐらっと来かかったか、強靭なそれのはずの視線をゆらりと震わせた彼だったりし。
(おいおい)
「見てください、沈丁花です。」
「…沈丁花?」
 はいと笑って、こっくりこと頷き、
「もう少ししたら、それは甘い香りのするお花が咲きますよ?」
 香りの強いお花というと、夏のクチナシと秋のキンモクセイと、それからこのジンチョウゲが有名なんですよ。そんな優しいことをご教授して下さる小さな主人と、もう少しお話がしたくって、
「冬の代表はないのか?」
「…う〜っと、どうでしょうか。」
 冬場はあんまりお花自体が咲きませんし、サザンカや椿はよくは知りませんが香りが強いのってあまり聞きませんし。ボクには判りませんと困ったようなお顔になった書生くんの向こうから、
「そりゃあな。匂いで目立っては、鳥や虫たちにあっと言う間に嗅ぎつけられて、喰い散らかされちまうからだろ。」
 よく通る、聞き慣れたお声。顔を上げた二人へと、茂みの脇から姿を現した人が顔を見せ、
「お前は、こういうことには目ざといのな。」
 小さなお花の小さな蕾。強いと言われるその香りがする前に、何の匂いもないうちはなかなか目立たぬ存在だのに、きちんと気づいたセナの細やかな観察眼へと、いかにも感に堪えたような声を出す彼こそは、
「お館様vv
 適当に引っかけたらしい着方の袷
あわせは、いつぞや引っ張り出してた女性用のらしく、冬向きの襲かさねの配色には珍しくも“赤”ではあるが、縹はなだの青に合わせるための渋めの蘇芳。それだけならば大人しめの色の筈だのに、誰かさんからの借り物だろう、上へと重ね着た大きめの漆黒の狩衣のせいだろうか、妙に艶やかで…妖冶にさえ見え。
「日頃の のほほんとしたぼんやりぶりとは、こういうところで帳尻が合っているのだろうな。」
 感心感心と、肉づきの薄い口許を歪めるように笑った彼へ、
「あやあや…。///////
 ご指摘を受けたご本人は真っ赤になり、
「………判ったから睨むな。特に叱ったり厭味を言ってるつもりはないぞ。」
 特に声音での非難はなかったものの、そのご本人に代わっての抗議の眼差しを強く強く向けて来る、肩幅も胸板も腕も手もごっつい憑神様へと、細い肩を竦めて見せた青年こそは。当代随一との誉れも高く、ついでに…傲岸不遜なところが悪評も高い、朝廷の大本陣に仕えし神祗官補佐殿こと、蛭魔妖一という陰陽師。今でこそ暦や天文、方位学などなどに関する古来よりの知識だけを重んじられている、学者に準ずるようなお立場なれど。その身に蓄えられし、清冽にして鋭利なまでに、ようよう研ぎ澄まされし気脈を用いての本当の得手・得物はと言えば。大地を流れる“龍気”という気脈や、樹木草花、古山に蟲獣の放ちたる精気に霊気、時には…闇の世界の眷属、悪霊やら邪妖やらの気配まで。感じ取っての様々な対処、咒を駆使し、ものによっては封印滅殺まで請け負う、なかなかに苛烈な生業をこなしておられる術師でもあり、
「こういうものへの豊かな感応力に比べれば、人への気配りなんぞ、慣れや習いで誰にでもどうとでも持ち得ること。むしろ我らのような者の身には必要のない、下らぬものだからな。」
 よって、どこか のほほんとしておっても大いに結構と、それはそれで別な問題があるんじゃなかろうかというようなお言いようをなさるお館様だったりし。いや、人の世界で生きてく上では、少しくらいは必要なんじゃあと畏れながら申し上げようと仕掛かったセナの視野の中、そのお館様の金色の髪が後方からふわりと舞いあげられて。その次の瞬間には、

  「…わっ。」

 セナのところまで達した強い風が一陣、沈丁花の茂みを揺すぶって吹き抜ける。湿り気の多い、少しほど暖かな風。少なくとも、昨日の雨の中に垂れ込めていた寒気とは縁遠い肌触りをまとっていたのへ、
「春一番でしょうか。」
 影さえ無かったその風を、わざわざ首を巡らせてまでして見送った書生くん。よほどのこと、早く暖かくなってほしいらしい、どこか急くような期待に満ち満ちたお顔をするのが、あんまり稚
いとけなくも愛らしかったので。くすりと笑ったお館方様、
「まさか、まだ早い。」
 勘違いを正してやって、
「けれどまあ、南洋から寄せ来た風には違いないからの。これから一雨ごとに暖かくもなろうぞ。」
 気温や気圧の差異から空気の塊の質量に差が生じ、それで風が生じるとか何だとか。そんな物理や気象学なぞ、まだまだ存在しなかった時代だが、それこそ古くからの見識の積み重ね、多くの前人が書き残した“事実”からの統計により、その筋の者にはそういうもんだと判っている“順番”だったから。嬉しそうなお顔になった少年の所作につい釣られ、もうすっかりと明けて清しい爽やかな青を、目映い光ごと早春の空に見上げた、うら若きお館様だった。






            ◇



 それでなくとも冷え込みの厳しい京の都の冬であり。それに加えて今年は厳寒、北国では例年以上に積雪も多かったと聞く。わざわざ越前や能登まで行かずとも、若狭や近江、山城でも、見上げんばかりに降り積った雪は、道や港を塞ぎ、人家を潰しさえしたそうで。雪害に慣れた人々でさえ大いにうろたえたほどに、その被害も甚大だったそうだ。
「それに比べりゃあ、ここいらなんてのは ずんとましだってのは判るがな。」
 それこそ“他所は他所でウチはウチ”だと、妙なことへ大威張りをする術師殿。おお寒かったと庭から駆け戻り、そのままの一直線にて閨まで飛び込んで来た彼自体が疾風のようであり、
「ああ、こらこら。そんなに大きくめくるな。」
 せっかく暖まっていたものが逃げようがと、綿入れの掛け布をせっかちにも膝立ちのまま、大きく引き剥がしにかかる乱暴者へと声をかけたは、彼が羽織っていった漆黒の狩衣の本来の持ち主様で。ごそごそもそもそ、綿入れの下で元の定位置に落ち着いたそのまま、早々と冷えてしまったらしき爪先を、くるぶしの骨もごつい足首の間に突っ込まれ、
「うわっ☆」
 あまりの唐突さからだろう、声を上げ、お前な〜〜〜っと恨めしげに向けられたお顔は、何とも精悍にして男臭く。片方だけを眇めた目許の鋭角さや、かっちりとした口角の口許、夜具の陰からはみ出しかかった剥き出しの肩口の逞しさなぞは、いかにも頼もしき男の野生と、荒削りなればこその力強さを重々感じさせるのに。漆黒の髪が少しほど寝乱れて額へもかかっているしどけなさとか、頑丈そうな顎、おとがいの下、鞣
なめし革のような褐色の肌の張りついた首元の筋肉の隆起なんぞ。身じろぎに合わせてうねる様の生々しい躍動が、何とも言えぬ色香を滲ませていて、
「…どした?」
「何でもねえよ。///////////
 これもまた、彼の野趣あふれる男らしさを担う一つ。野生と荒々しさという、いかにもな男の気配を孕む香りが暖められて匂い立つその懐ろの深みへと、浸りたくてか逃げ込むためか、小ぶりのお顔を総帥殿の胸板へ自分からぎゅぎゅうと押しつける術師殿。甘えているくせに偉そうなのは、それこそ今に始まったことではないのだが、

  “………もう何度目の春なのだろうな。”

 そういえば。あれはもう少し先の、桜も間近いくらいに暖かくなってからだったか。昨年の春先には詰まらないことで喧嘩をしたよなと思い出す。いつもいつもくだらないことで、丁々発止と火花が散りそうな勢いの言い争いをしている自分たちだけれど。1年経っても覚えてる、思い出せるそれだということは、忘れ難く、感慨深かった喧嘩だったということで。鳥獣全般のいわゆる“盛り”の時期になったのに、それでも自分の傍らに居続けの彼へ、種の差異、寿命の違いなんてものへと腹を立て。どうにもならぬことへの八つ当たり、傍らに寄れぬよう、咒まで繰り出しての拒絶をしたのに、

  『置いてかれるのは俺たちの方なんだぜ?』

 難無く宥められ、その懐ろへとこんな風に掻い込まれた。それからそれから、何があっても駆けつけるからという誓約の更なる契り。念のためだと、彼の“眞の名前”も教わったのだっけ。不器用なくせに、鈍臭いくせに。洒脱な物言いにも追いつけず、遠回しな言い方に ずんと後になって理解が追いつくような。つくづくと野暮ったい男だというのに。何でそうも…こちらの胸が騒いでやまない、じんと熱くなってそのままそこに形を刻むような、そんな心憎い仕業をここぞという時に繰り出せる彼なのか。そしてそして、なんでまた。気が短くて機転も素早く、例え身ひとつであっても急場をしのげる術では誰にも負けない この自分は、ちっとも垢か抜けず鮮やかでも何でもない、そんな田舎臭い男の焦れったさに、どうしてこうまでも惹かれるのだろうか。

  ――― どうした?
       うん…覚えておるか?
       何を。
       喧嘩。
       いつのだ?
       さあな。

 何とも要領を得ない受け答えへ。葉柱が怪訝そうな顔になったのが、わざわざ見ずともその沈黙から判る。昨日だって一昨日だって、詰まらないことでの言い争いはしたのだし、どうせまた、そう、今日中にだって下らないことでの喧嘩はするのだろうし。それでも…居心地のいい此処に、この懐ろに。暖かくて長い、大好きな腕が、居てもいいよと、何の衒いもないままに抱き寄せてくれるのだろうなぁと。それが今から判ってて。

  ――― どうした?
       うん…思い出しただけだ。
       何を。
       喧嘩。
       ……………。

 またの沈黙へ今度はくつくつと、堪らずに吹き出してしまい、そのまま笑い続ける術師殿であり。一緒にくるまった掻い巻きの下、いつまでもいつまでも細い肩が揺れるのを、ま・いっかと見下ろして。指になじんだ金の髪、ゆっくりと梳いてやる総帥様だったそうである。春まだ浅き、如月の末。どこやらからか風に乗り、気の早い梅の香がして。すわ、これはお知らせせねばと勇みかかった書生くんを、憑神様が物も言わずにがっしと引き留めた、そんな甘やかな春の朝だったそうでございますvv





  〜Fine〜  05.2.22.


  *甘ぁーーーいっ。
(苦笑)

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